【感想】飢えたライオン
飢えたライオン
2018年公開
監督 緒方 貴臣
◉あらすじ(公式サイトより)
少女は、何度も殺される
ある朝のホームルームで、主人公・瞳(18)のクラス担任が未成年への淫行容疑で警察に連行された。担任の性的な動画が流出し、その相手が瞳だという噂が学校内で流れ始める。そんなデマはすぐに忘れられるだろうと軽く考えていた瞳だが、中学生の妹やフリーターの彼氏・ヒロキからも噂のことを問いつめられ、不安になっていく。
噂の影響で、瞳を性の対象として見るようになっていく周囲の男たち。友人、先生、家族にも信じてもらえず、追いつめられ、自ら死を選択する瞳。
担任教諭の逮捕と生徒の自殺は、世間の注目を集め、マスコミの報道は過熱していく。そしてその情報は、ネットや人づてにどんどん広がり、社会によって瞳の「虚像」が作られていくのだった。
◉私的評価
★★★★★★★☆☆☆ 7/10
◉総評
映画をいろいろ見ていて、心温まる良い映画だったなぁとか、辛い話だったけど心に響いた良い映画だったなぁ、というのは、僕のハードルが低いことも相まって頻繁に抱く感想だ。
今作は決して良い映画ではなかった。社会への批判的なメッセージも多方面に目移りし過ぎていてテーマがブレていたし、似たようなカットを繰り返す構造は悪く言えば単調。終始暗くて、エンタメ性はカケラもない。
それでも、刺さる。感動したとか共感したとか、そんな表面的な言葉ではなく、胃袋の中にいつまでも消化されずに留まり続けて、キリキリと痛めつけてくる映画だ。
SNSでの拡散やネット掲示板、身近な同級生や家族からテレビのニュースに至るまで、少女は誤解され、嘲笑されてオカズにされる。一欠片の救いもない。死んでもなお、それは止まらない。
他人の不幸は蜜の味、とはよくいうけど、鬱映画っていうのは、そこから得られる教訓だったりだとか、何かしらの意味があるもんだ。けど、これは本当にただ殴り続けられるだけで何もない。
傍観者っぽい視点で、1人の少女が飢えたライオンに食べられていく様をただ眺めるだけの映画なのだ。
だから、絶対に人にはオススメできないし、もう一度見たいとも思わない。それでも、最後のカット、画面の奥からこちらを見つめてくる少女は、現実と作品の垣根を超えて睨みつけているようで、グラグラと存在が揺さぶられる。あれを味わってほしいと思うのは、自身も飢えたライオンだからなのかもしれない。